「NOBODY」
携帯電話に表示されたのは、見覚えのない名前でした。
「お前、何でここにいるんだ!!」
知らない男が怒鳴っています。電話の相手が誰なのかも、なぜ怒っているのかも分かりません。
それ以上に不可解なことがありました。
大学から、自分以外の人間がいなくなっていたのです。
「時空のおっさん」とは、誰もいない街や学校に迷い込んだ人が、謎の男性に出会うネット怪談の総称です。なかでも有名なのが、着信名「NOBODY」の大学生の話。
男は何者で、なぜそこにいる人間を怒るのでしょう。古い投稿を読み比べると、怒る男だけでなく、驚く男や謝る男も現れてきます。
記事では掲示板の語りを怪談として紹介し、初出や資料の確かさなど後半で確認していきます。
原典「NOBODY」――誰もいない大学で起きたこと

✓ 遅刻して向かった大学から、人だけが消えていた
✓ 「NOBODY」の電話と、グラウンドに立つ男
✓ 午前8時に目覚めた部屋に、食事の痕跡だけが残った
誰もいなくなった大学
話は、ある大学生が午前10時に目を覚ました朝から始まります。
授業は9時半から。もう遅刻ですが、ふだんから少し遅れて行くことがあったので、本人はそれほど慌てませんでした。
前夜の夕飯の残りを食べ、支度をして家を出ます。家から大学までは3分ほど。到着時に携帯電話を見たところ、時刻は午前10時24分でした。
校内に入ると、妙に静かでした。
授業中だからだろう。そう思って教室へ向かいます。けれど、そこにも誰もいません。教室を間違えたのかと時間割を確かめても、場所は合っています。
先生も学生もいない。講義があるはずなのに、誰もいない。
教室を出ようとした、そのときです。
携帯電話が鳴りました。
「NOBODY」からの電話
着信画面にあったのは「NOBODY」。英語で「誰でもない」「誰もいない」という意味の言葉でした。
なぜこんな表示が出るのかと不思議に思いながら、学生は電話に出ます。

すると、いきなり男が怒鳴りました。
「お前、何でここにいるんだ!!」
学生が誰なのかと尋ねても、男は名前を答えません。今度は、どうやってそこへ入ったのかを問い詰めてきます。
しまいには「外を見て見ろ!」と命じました。
いたずらだと思った学生は電話を切ります。それでも気になり、2階の教室のベランダからグラウンドを見下ろしました。
中央に、一人の男が立っています。
男は携帯電話らしきものを耳に当てていました。学生が見つめていると、男はゆっくりこちらへ顔を向けます。
そして、ポケットに手を入れました。
何をされるか分からない。学生はベランダから駆け戻り、教室を飛び出しました。その瞬間、体がぐっと引き伸ばされるような、経験したことのない感覚に襲われました。
次の瞬間、目を覚ました場所は自分の部屋でした。
午前8時に戻った学生
時計は、午前8時ちょうどを指していました。
大学に着いたのは午前10時24分だったはずです。それより二時間以上も前に戻っています。
不思議な夢を見た。そう思い、学生はもう一度大学へ行く準備を始めました。
グラウンドで見た男の声も姿も、もう思い出せません。ただ、おっさんだったという感覚だけが残っていました。
――冷蔵庫を開けると、朝に食べたはずの夕飯の残りがありません。
台所には、そのとき使った食器だけが置かれていました。
眠っていたなら、なぜ食べ物がなくなっているのでしょう。時間が戻ったのなら、なぜ食器は使われたままなのでしょう。
夢だと思いたい朝に、夢ではない証拠だけが残っていたのです。あの男は時の番人だったのでしょうか。
出典:新・時空のおっさんまとめWiki「時空のおっさん1」/5ちゃんねる過去ログ「時空のおっさん」2〜6番。2006年2月25日に立ったスレッドの2〜6番に、2005年7月21日付の「NOBODY」280番として転載されています。2005年当日の元スレッドは未確認です。
時空のおっさんにはどんな体験談がある?

✓ 校庭の男も公園の男も、人間を見つけて驚いた
✓ 怒鳴る男もいれば、静かに帰してくれる男もいる
✓ 2010年の白いフロアには、もう一度鳴るエレベーターがあった
校庭で作業していた男
大学の怪談よりも古い日付を持つ、もう一つの話があります。
授業中、うとうとしていた中学生が、先生に名前を呼ばれました。
「この問題やってもらおうか」
黒板の前に出たものの、答えが分かりません。横に立つ先生のほうを見ると――先生がいません。教室にも、誰もいないのです。
窓から校庭を見ると、真ん中で男が何かの作業をしていました。やがて男はこちらに気づき、驚いたような様子で、慌てて上着のポケットに手を入れます。
気づけば生徒は、自分の席に座っていました。先生がさっきと同じように指名し、黒板へ出るよう促します。
生徒は、思わず口にしました。
「いや、僕いいです。いいです。」
皆には大笑いされました。でも本人は、泣きそうになるほど怖かったそうです。そのあと保健室へ連れていかれ、あとから思い返しても、校庭にいた男の顔や服装は思い出せませんでした。
この話には2005年2月6日という日付が付いています。2006年の掲示板に転載された記録から、当時の文章を読むことができます。
警告する男、優しく帰す男
2006年3月に書き込まれたのは、大会前の練習がある日に寝坊した投稿者の話です。
学校に着くと、そこには誰もいませんでした。すると、男が慌てた様子で「こっちに来るな!」と叫びます。
投稿者が立ち止まると、男は「よし」とひとり言をつぶやきました。
その直後、景色がゆがみます。気づけば投稿者は、ベッドの上にいました。
2007年12月の体験談には、もっと直接的な警告が残っています。
投稿者は、テスト勉強のため自転車で図書館へ向かっていました。途中で気分が悪くなり、目のあたりを押さえてうつむきます。
再び顔を上げると、車も人も消えていました。

しばらくすると、ヤクザのような男が怒鳴りながら走ってきます。男は投稿者を激しく叱ったあと、携帯電話のようなものを取り出しました。投稿者が必死に話しかけても、男は怒るばかりで、ほとんど取り合いません。
連絡がついたように見えたあと、投稿者はいつの間にか元の世界へ戻っていました。夢だったのかとも思いましたが、本人によれば、顔には男に殴られた痕が残っていたそうです。
投稿者によると、この男は二つだけ質問に答えてくれたといいます。
時空のおっさんと呼んでいいか?もう一度あの世界へ来るにはどうしたらいいか。
「こっちに来るにはどうすればいいんすか?」
すると男の顔が険しくなります。
「…次は帰れんぞ」
そして2006年6月に書き込まれた洞爺湖の話は、雰囲気がまるで違います。
家族旅行の夜、自販機のそばで、少年はふと気づきます。家族を探しても、あたりに人の気配がまったくないのです。その後ろに、男が立っていました。
「ぼうず、ここは来ちゃダメなんだよ」
その声を聞くと、なぜかすごく安心したといいます。頭をなでられたような感じがして、瞬きをした次の瞬間には、元の自販機の前に戻っていました。
怒鳴る男、警告する男、助けてくれる男。出会った人間への態度は、話によってずいぶん違うのです。

投稿者の二つの質問のうち、一つは「時空のおっさん」と呼んでもいいかというものだったぞ。
真っ白になったビルの5階
2010年8月25日の深夜0時すぎ、仕事帰りの男性が奇妙な体験を掲示板に書き込みました。
仕事が早く終わったので、行きつけのスナックが入ったビルへ飲みに来た夜のこと。男性には、使う金額を決めて財布から胸ポケットへ移しておく癖がありました。その夜もエレベーターで5階に着くまでに、千円札3枚を移しておきます。
ドアが開きました。
廊下が、真っ白でした。
もともと白い壁だけではありません。店の扉も看板も、白くないはずのものまで白い。店が一斉に移転したのかと思うほど、見慣れた階の景色が変わっています。
仕方なくエレベーターへ戻ろうとしたとき、「チン」と到着音が鳴りました。
ついさっき、そのエレベーターで上がってきたばかりです。まだ別の階へは動いていないはずなのに、到着を知らせる音が鳴り、扉が開きます。
中から、作業服姿の初老の男が出てきました。
「ここは少し外れているんだよ」
男は開口一番、怒鳴りました。
「なぜ、ここにいるんだ!どこから入った?」
あの「NOBODY」の電話を思い出すような言葉です。男性が事情を説明すると、男は「そうじゃないんだよ、ここはダメなんだよ」と返します。
「うーん、そうじゃなくて、ここは少し外れているんだよ」
外れている。何から、どこが外れているのでしょう。

エレベーターに乗ろうとした男性を、男は「そっちじゃないよ。ちょっと待ってて」と止め、携帯電話を取り出しました。ダイヤルを押さずに耳へ当て、「あ、はい、では」と、誰かに丁寧な口調で頼みます。続いたのは「ヒグスデンカ」という、意味の分からない言葉。その次が「あげ」だったか「やれ」だったか、投稿者自身にも確かではありません。
電話を終えると、男は「悪かったね、怒鳴ったりして」と謝りました。
気づけば男性は、ビルの前に立っていました。腕時計を見ると、午後11時半。仕事を早く終えて飲みに来たはずなのに、時間が合いません。
白昼夢でも見ていたのか。胸ポケットに触れると、そこには、さっき入れた千円札が3枚ありました。
話はそこで終わりません。その日の夜、男性は最初に書き込んだ「不可解な体験、謎な話~enigma~」のスレッドから「時空のおっさん」の専用スレッドに案内され、もう一度話をしました。
日付が変わるころ、別の参加者に男の顔を覚えているかと聞かれると、こう答えています。輪郭はあるのに、思い出そうとすると「プラスティックみたい」になって分からなくなる。自分で書いた「ヒグスデンカ」という言葉さえ、本当にそう聞こえたのか怪しくなってきた、と。
出典:白いフロアの449〜450番(原文転載) / 白いフロアの539〜541番(専用スレッド)
誰もいなくなった公園
もう一つ、男の反応が気になる話があります。
2006年8月26日に書き込まれた公園の体験談です。投稿者は、出来事そのものは「2年前の今頃」だったと述べています。
バイク便の仕事の休憩中でした。ベンチにいた人も、犬を連れた女性も消え、蝉の声も車の音も聞こえなくなった公園。投稿者が困っていると、公衆トイレから中年男性が現れました。
その男は投稿者を見て「あっ」と声を上げ、トイレの中へ引き返します。
すると蝉の声が戻り、公園に人の姿が現れました。トイレをのぞいても、さっきの男はいません。
なぜ男は、投稿者の姿を見た途端に引き返したのでしょう。まるで、男のほうが予想外の誰かに出くわしたようでした。
時空のおっさんの正体は?

✓ 番人・作業員などの説には、それぞれ説明できる部分がある
✓ 2013年の「庭師」と2015年の「元おっさん」では仕事内容が違う
✓ 一人の男を探すより、共通する行動が手がかりになる
おっさんの正体をめぐる5つの説
ここまでの話で、男たちの行動には共通点があります。
現れた人間に気づく。ときには叱る。ポケットに手を入れたり、誰かと連絡したりする。そして、迷い込んだ人間は日常へ戻っていく。
この振る舞いから、古い掲示板ではさまざまな正体が想像されてきました。
| 正体説 | そう考えたくなる理由 | まだ残る謎 |
|---|---|---|
| 番人・管理人 | 侵入者を見つけ、警告する | なぜ相手の出現に慌てるのか |
| 時空の修復作業員 | 校庭や森で何かを作業している | 具体的な作業内容は語られていない |
| 未来人・組織の職員 | 携帯電話のような道具と連絡相手 | 所属や時代は明かされない |
| 普通の人間・強制労働 | 迷い込んだ人間が働かされている、という話が繰り返し出る | 語った人の説明が正しいかは不明 |
| 神や人ならざる存在 | 時間のずれや突然の帰還を説明しやすい | 神だと分かる行動はない |
どの説にも、ぴたりとはまる場面とはまらない場面があります。ひとつの答えに決めようとすると、別の話がその答えを揺さぶります。
「番人」という言葉は便利です。でも、校庭で何かをしていた男と、迷い人を送り返した男が、本当に同じ役目だったのでしょうか。
なぜ男たちは怒るのか?
「NOBODY」の男は、なぜそこにいるのかと怒鳴りました。真っ白なフロアの男も、最初は侵入者を責めるような態度でした。
ところが事情を聞いた後者は謝っています。洞爺湖の男は初めから優しい。公園の男は怒る前に逃げ込んでしまいました。
まとめWikiに集められた考察にも、男たちは時空の隙間を直しているのではないか、わざと入り込む者を警戒して怒鳴るのではないか、といった見方が並んでいます。
もし男たちが何かの仕事をしていたとしたら、偶然現れた人間は、危険な侵入者なのでしょうか。それとも、急いで助ける必要のある迷子なのでしょうか。
多くの場合怒鳴り声を上げる男。でも、男たちの行動の終わりにあるのは、たいてい帰還なのです。
「庭師」と「元おっさん」は何を語った?
2013年2月20日、時空のおっさんの関係者を名乗る人物が掲示板に現れました。その人物は、自分たちをこう呼びます。
「うちらは只の庭師。」

この人物によれば、時空には階層があり、それぞれを管理する「女主人」と補佐役がいるそうです。自分たちの仕事は、決まりにない方法で迷い込んだ人間を、上の立場の者に報告すること。自分では人間を戻せず、それができる上位の者は肉体を持たない、とも語っています。

あの携帯電話の先に、誰かの判断を仰ぐ相手がいたとしたら。大学の男の怒鳴り声も、少し違って聞こえてきます。
一方、2015年2月11日には、したらば掲示板に「元・時空のおっさん」を名乗る人物が現れました。

その人物によれば、車を停めて用を足し、振り返ったら白い部屋の中にいたといいます。迷い込んだ人間は「異者」(異世界に紛れ込んだ人)と呼ばれ、自分に課されたノルマは「異者を3人戻す」こと。異者を、来たと思われる場所へ連れていけば、1分ほどで勝手に戻っていく。ノルマを果たすと、自分も解放されたそうです。

2013年の「庭師」は報告役で、2015年の「元おっさん」は帰すために現場を歩く役。役割は一致しません。
出典:2013年「庭師」497番の転載 / 2015年「元・時空のおっさん」投稿
同じ「時空のおっさん」でも、語る人によって仕事内容は違いました。
もう一つ、見逃せない点があります。普通の人間が向こうでおっさんとして働く、という筋書き自体は、2007年2月1日の時点で、すでにスレッドに書き込まれていました。
「あっちの世界に行ったっきりで、帰って来れなかった人が時空のおっさんになるんだよ。」
2015年の告白は、その8年前から語られてきた説と重なる内容でもあるのです。もちろん、どちらも匿名掲示板での発言です。怪談の「裏設定」として読むことはできても、男の正体が判明したわけではありません。
おっさんは一人ではない?
グラウンドの男はポケットに手を入れ、公園の男は引き返し、白いフロアの男は電話をかけました。顔や年齢の印象も一定ではありません。
もし彼らが同じおっさんなら、外見や手順が違う理由を説明しなければなりません。しかし別々の存在なら、姿かたち、行動の違いも納得がいきます。
あくまで考察ですが、異空間で何か作業をするおっさんは証言から見てひとりではないでしょう。どういった経緯で「時空のおっさん」になるのか・・・。それはまだはっきりとは分かりません。
ですが、共通してるのは、誰もいない場所へ来た人間を見つけ、何らかの方法で元へ戻す。
この共通点が、様々な目撃証言から「時空のおっさん」という怪異を生んだのかもしれません。
時空のおっさんは実話?――初出を追う

✓ 2005年の古い日付は、2006年の転載で確認できる
✓ 「時空のおっさん」の名前は、2006年に話を集める場所ができて広がった
✓ 2016年の掲示板に、体験談が既存の怪談に近づいていく瞬間が残っていた
最初に転載されたのは「NOBODY」?
2006年2月25日、「時空のおっさん」という専用スレッドが立てられました。
このスレッドで最初に紹介されたのは、大学生の怪談「NOBODY」です。
しかし、その後に紹介された話の中には、「NOBODY」よりも古い日付を持つものがありました。
当時の転載記録に残された日付を、古い順に並べてみましょう。
転載記録に残る日付が古い順
- 2004年10月11日|公園で知らない男と遊んだ話
2006年6月20日、専用スレッド244番に転載。知らない男と遊んでいる間、家族から姿が見えなくなっていた話です。 - 2005年2月6日|中学生と校庭の男
2006年2月25日、専用スレッド12番に転載。無人の教室と、校庭で作業する男の話です。 - 2005年7月21日|大学生の「NOBODY」
2006年2月25日、専用スレッド2〜6番に転載。誰もいない大学と、謎の着信「NOBODY」の話です。

ただし、これらの日付は転載された文章に残るものです。今回調べた範囲では、それぞれの当日の元投稿の日時までは確認できませんでした。

考察おおかみではこれからも投稿日時を追っていくぞ。
もし当時の書き込みについて情報があれば、コメントで教えてほしい。
「NOBODY」から「時空のおっさん」へ
時空のおっさんは、最初から時空のおっさんではありませんでした。実際、大学生の話「NOBODY」で、投稿者はおっさんを「時の番人」ではないかと考えています。
2006年2月12日の「洒落コワ掲示板」の「時空の歪み専用スレ」では、関連する会話の中で、おっさんが「時の番人」と呼ばれていることを確認できました。
そこでは「NOBODY」の「時の番人」と、校庭に男が現れる別の話が似ていると話題になっていました。では、おっさんはいつから「時空のおっさん」になったのでしょうか。
調べた限り、「時空のおっさん」という呼び方は、2006年2月25日に2ちゃんねる・オカルト板に立てられた「時空のおっさん」というスレッドで使われていました。
最初の呼びかけはこうです。
「時空の彼方で働いている?おっさんについて語るスレです。」
少なくとも、この時点ですでに「時空のおっさん」という呼び名が使われていたのです。ただし、誰が最初に名付けたのかは分かっていません。
さらに興味深いのが、2007年12月9日に「時空のおっさん2」へ投稿された体験談です。先ほど紹介した、図書館へ向かう途中で謎の男に出会った投稿者を覚えているでしょうか。
実は、男にこんな質問もしていました。
「時空のおっさんって呼んでもいいすか?」
返ってきたのは、たった一言。
「勝手にせい」
男がこの呼び名を知っていたかどうかは分かりません。
しかし、掲示板ですでに使われていた「時空のおっさん」という名前が、今度は体験談の中で男本人への呼びかけとして登場したのです。
こうして、別々に語られていた謎の男たちは、いつしか「時空のおっさん」という共通の名前を持つ怪異として語られるようになっていました。
実話と呼べる証拠はある?
結論から言えば、今回確認した書き込みからは、体験談が実話であることを裏付ける証拠は見つかりませんでした。
だからといって、すべてが嘘だったと決めつけることもできません。
実は、誰もいない場所や、本来いるはずのない世界に迷い込む話は、日本でも海外でも古くから語られてきました。
例えば、柳田國男の『遠野物語』に登場する「マヨヒガ」。

第63話では、山中で立派な屋敷を見つけた女性が、庭には鶏や牛馬がいて、家の中では鉄瓶の湯まで沸いているのに、誰もいないという不思議な体験をします。
続く第64話でも、同じような屋敷に迷い込んだ男性が登場します。しかし後日、村人たちと探しに戻っても、その家は二度と見つかりませんでした。
また、海外のSF短編『Yesterday Was Monday』には、もっと時空のおっさんに近い話が出てきます。
主人公が、本来まだ来るはずのない水曜日の世界に迷い込むと、そこでは作業員たちが、時間に合わせて世界を作っていたのです。
『遠野物語』は1910年、『Yesterday Was Monday』は1941年。どちらも「NOBODY」より60年以上前に発表されています。
もちろん、古い物語があるからといって、「時空のおっさん」が実在する証拠にはなりません。
それでも、不思議な共通点があります。
インターネットもなかった時代から、人はなぜ、誰もいない世界や、世界の裏側で働く者たちを想像してきたのでしょうか。
そして「時空のおっさん」もまた、そうした古い物語とどこかでつながっているのでしょうか。
その答えは、まだ分かりません。
2016年、怪談が育つ瞬間
2016年11月、女性向け掲示板「ガールズちゃんねる」の「異世界について語りたい」というトピックに、一つの体験談が書き込まれました。
高校生のころ、友人に教わった近道を、後日一人で通ったという投稿者。いつもなら10分ほどの距離なのに、いくら進んでも着きません。夕方の商店街にも住宅街にも人影がなく、音もしませんでした。
やがて前から、顔も体も真っ黒に見えるおじさんがやって来ます。
怖くなった投稿者は慌てて引き返し、どうにか通学路へ戻りました。ところが帰宅するまでに、2時間半が過ぎていました。

この投稿には、まだ「時空のおっさん」という名前は出てきません。
その日の昼、別の参加者がこの話に反応します。その男は危険な相手ではなく、むしろ助けようとしていたのではないか。そして、2ちゃんねるで語られてきた「時空のおっさん」の特徴を紹介しました。人のいない街、迷い込んだ人を戻す男、作業着、思い出せない顔。

約30分後、最初の投稿者が戻ってきて、こう付け加えます。
あのおじさんは、遠目では作業着の人に見えた。近づくにつれて黒い感じになり、怖くなって自転車ごと引き返したのだ、と。

ここで注意してほしいのは最初の話で作業着はでてきません。またどちらかと言えば時間経過が不自然な話(タイムスリップ?)にみえますが、後の投稿では作業着が加わります。
2016年の掲示板には、怪談が人から人へ伝わり、形を整えていく途中の会話が残っていました。
出典:248番(最初の体験談) / 357番(特徴の紹介) / 360番(「248です」とする返信)
少し詳しく:投稿の番号と時刻
- 2016年11月27日 1時49分:ガールズちゃんねる248番。最初の体験談で、「時空のおっさん」の語はない
- 同日 12時36分:357番。別の参加者が248番に返信し、「時空のおっさん」の特徴を紹介
- 同日 13時08分:360番。「248です」と名乗り、遠目では作業着の人に見えたと補足
- 248番より前の196番:「「時空のおっさん」って知ってますか?」という書き込みがある
- 2010年8月25日 20時13分:5ちゃんねる「時空のおっさん4」539番。白いフロアの男性が、enigmaスレッドから誘導されてきた書き込み
- 同年8月26日 0時13分:541番。540番の質問に「元スレで紹介してもらって、その後に興味深く読ませてもらったよ」と回答。日付が変わったためIDは前日と異なるが、本人は「539」と名乗っている
異なる怪談が同じ名前で呼ばれるようになったあと、奇妙な「印」まで話題になりました。今度は男の持ち物が、何百年も前の手稿と結びついていきます。
ヴォイニッチ手稿と時空のおっさんの関係

✓ 2012年5月、顔と星のある「風車」の話が投稿された
✓ 6月の「入れ墨」の話が、古い手稿の図柄と結びついた
✓ 図柄は似ていても、事前の写真やスケッチは残っていない
2012年に現れた二つの模様
男が手にしていた機械には、顔のついた小さな風車のようなものが付いていました。
2012年5月28日に投稿された「昼下がりにSFな体験した」という話です。
日曜の昼下がり、荷物を受け取ったあと、周囲の色が薄れ、家にいたはずの家族の姿が見えなくなったという投稿者。携帯には「NOT BONSTE」という見慣れない表示が出ます。やがて、色の薄い作業着姿の男が家に入り、こう告げました。
「今から貴方を元居た場所に帰します。」
男が取り出した電話の子機のような道具には、小さな風車が付いていました。その中心には、あまり上手ではない顔が描かれていたそうです。
それから約1か月後の6月23日。「変なおっさんに拉致されてた」という別の話が掲示板に現れます。
異常に赤い空の下で二人の男に連れ去られたという投稿者。そのうち一人の左手の甲には、下手な顔を囲む、赤と青の風車のような入れ墨があったといいます。さらに、男が使っていた携帯のアンテナも、風車を思わせる形でした。
二つの話の共通点と違いを整理すると、こうなります。
| 比較する点 | 5月の「昼下がりにSFな体験した」 | 6月の「変なおっさんに拉致されてた」 |
|---|---|---|
| 周囲の異変 | 景色の色が薄れ、家族が見当たらない | 空が異常に赤く、あるはずの駅がない |
| 道具と風車の関係 | 子機のような機械のアンテナ部分に付いていた | 携帯のアンテナが風車のような形だった |
| 顔が描かれた場所 | 機械に付いた風車の中心 | 左手の甲の入れ墨の中心 |
| 顔の特徴 | あまり上手ではない顔 | 卵形の下手な顔 |
| 風車の色 | 朱色・青・白 | 入れ墨の模様が赤と青 |
| 星のマーク | 描写あり | 入れ墨の説明には記載なし |
話がヴォイニッチ手稿につながるのは、6月の投稿者が、入れ墨に似た画像をネットで見つけて示したことがきっかけでした。別の参加者が、それを手稿の絵だと指摘したのです。
その後、「時空のおっさん 7」でも手稿の絵が候補として示され、6月の投稿者を名乗る人物は、その一つが見た入れ墨の図柄で間違いないと思う、と答えています。5月の投稿者も同じ絵だと確認したわけではありません。
電話のアンテナ、手の甲の入れ墨、そして古い手稿。掲示板では、風車や顔の描写の類似を手がかりに、二つの体験談とヴォイニッチ手稿との関連が語られるようになったのです。
出典:ヴォイニッチ手稿との繋がり / 「時空のおっさん 7」の投稿抜粋です。
少し詳しく:6月23日の流れ
- 9時30分:「変なおっさんに拉致されてた」のスレッドが立つ
- 時刻不明:体験者が、入れ墨によく似た絵の画像を示す
- 17時23分:別の参加者が「ヴォイニッチ手稿から似た絵を探してみた」と候補画像を挙げる
- 17時40分:「一枚目の左ページで間違いないと思います」の書き込み
実物の手稿と見比べる
掲示板で入れ墨に似ているとされた絵を、実際の手稿で見てみましょう。
イェール大学が所蔵するヴォイニッチ手稿のうち、注目されたのは「f67r1」と呼ばれる区画です。「67」と番号の振られた葉の表側、下の画像では左の円形図にあたります。ページ位置の解説

円の中心には顔があり、その周囲に尖った模様が広がっています。5月の風車と6月の入れ墨、それぞれの描写を、この図と並べてみます。
| 比較する点 | 5月の風車 | 6月の入れ墨・アンテナ | 手稿 f67r1 |
|---|---|---|---|
| 中央の顔 | 「あまり上手ではない」顔 | 入れ墨に卵形の下手な顔 | 顔のある月のような絵 |
| 色 | 朱色・青・白 | 入れ墨は赤と青 | 赤・青・白 |
| 星 | ところどころに描写あり | 入れ墨には説明なし | 白い部分に小さな星 |
| 羽や尖り | 羽の枚数は曖昧 | アンテナは羽の多い竹とんぼのような形 | 12方向へ広がる形 |
顔を囲む模様だけでなく、5月の話では配色と星の描写にも似た点があります。ただし、手稿の「12方向」という特徴まで、体験談と一致しているわけではありません。
ここで比べられるのは、投稿者が残した言葉と、手稿の画像です。掲載された記録では、道具や入れ墨そのものの写真は確認できません。図柄の細部がどこまで同じだったのかは、分からないままです。投稿の記録
なぜ、この図柄が結びついたのか?
二つの体験談と手稿を結びつけた手がかりは、風車のような形に加え、中央の顔や配色でした。とくに5月の投稿には、細い羽や星の模様まで、言葉で説明されていました。
気になるのは、その順序です。風車の細かな描写が書き込まれたのは、6月に入れ墨と手稿の関連が指摘されるより前でした。約1か月後に示された絵を通じて、先に語られていた風車にも目が向けられたのです。当時の投稿記録
ただし、6月の投稿者が5月の話を知らなかったかどうかは確認できません。二つを、互いに影響を受けていない証言として扱うことはできないのです。
手稿の画像も、2012年に初めて公開されたものではありません。Wikimedia Commonsの掲載記録には、2009年10月4日のアップロードが残っています。少なくとも、二つの話が投稿される以前から、ネットで見ることのできた絵でした。
以前に見た画像や読んだ話が影響した可能性もあれば、偶然似た描写になった可能性もあります。残された記録だけで、その由来を決めることはできません。
それでも、掲示板でこの類似が注目された理由は分かります。見知らぬ男の機械に、古い手稿と似た印が付いていたという話。その連想は、男たちの正体にまで想像を広げます。もし本当につながりがあるなら、彼らの仕事も、ずっと昔から続いていたのでしょうか。
ここで気になるのが、翌2013年2月20日の書き込みです。
「うちらは只の庭師」
そう名乗った投稿者は、ヴォイニッチ手稿のあるページについて、見て分かるようなら「雇い主の女主人」に会えるだろう、と語っていました。
風車の図柄からたどり着いた手稿に、今度は男たちの役割と、その雇い主をほのめかす言葉が重なります。彼らが庭師だというなら、いったい何を手入れしているのでしょうか。
考察おおかみ――あの男は何者だった?

✓ 怒鳴った男たちも、迷い人に戸惑っていた
✓ 誰もいない街は、まだ私たちが着いていない「本番前」の時間
✓ 境目は、私たちが目を閉じて開くあいだにある
怒鳴った男も、戸惑っていた
ここまで読んできて、私にはどうしても引っかかる場面がある。
校庭の男は、中学生に気づいて驚いた。公園の男は「あっ」と声を上げ、トイレへ引き返した。白いフロアの男は怒鳴ったあと、「悪かったね、怒鳴ったりして」と謝っている。
どの男も、最初から迷い人を待ち構えていたようには見えない。
2015年に「元おっさん」を名乗った人物も、こう書いている。
「おっさん側も異者(異世界に紛れ込んだ人)と同じように不安、パニックを感じてますので余裕がありません。」

2012年6月には、舞台の仕事をしているという人物が、掲示板の381番にこんな例えを書き込んでいた。あの世界は「客入れ前の舞台」のようなものではないか。仕込みの最中に客がまぎれ込めば、舞台屋は「どうやって入った!?」と慌てるものだ、と。
学生たちは男の怒鳴り声を恐れた。だが、あれは見張り番の脅しではない。仕事場に、来るはずのない人間が現れたときの、うろたえた声だったのだ。
誰もいない街は「本番前」だった
381番には、もう一つ見逃せない一文がある。舞台の仕込みが終わったあとで、
「俺らの実時間がその時空に追いついてその時空を体験」
するのではないか、というのだ。
つまりこうだ。誰もいない街は、遠い異世界ではない。私たちの時間が、まだたどり着いていない少し先の時間だ。そこではおっさんたちが、本番に向けて舞台を整えている。客である私たちがやって来るのは、仕込みが終わってからだ。
この見方を、最初の大学生に当てはめてみる。
学生がいたのは、午前10時24分の大学だった。戻ってきたのは、午前8時の自分の部屋。彼は、まだ来ていない時間へ、先に入り込んでしまったのだ。
そう考えると、大学に誰もいなかった理由も説明がつく。ほかの学生も先生も、まだ8時の世界にいた。10時の舞台には、仕込み係のおっさんしかいなかったのだ。
舞台の上にあったのは、大学だけではない。10時に目を覚ました部屋も、冷蔵庫の夕飯の残りも、すでに本番前の舞台の一部だった。学生はそこで、まだ誰も手をつけていない小道具を食べてしまった。だから8時の冷蔵庫からは、食べた分だけが消えていた。
参考:2012年6月25日・「時空のおっさん7」381番(5ちゃんねる過去ログ)/同じ書き込みの転載(サンブロ)/「元・時空のおっさん」の投稿(まとめWiki)。
境目は、まぶたの裏にある
では、学生はいつ境目を越えたのか。
私は、目を覚ましたときだと思う。
この記事で読んできた体験談を並べ直すと、入口か出口に、同じものが何度も現れる。
- 大学生は午前10時に目を覚まし、午前8時にもう一度目を覚ました
- 中学生は、授業中にうとうとしていたところを指名され、黒板の前で無人の教室に気づいた
- 寝坊した朝、無人の学校で止められた投稿者は、気づけばベッドの上にいた
- 洞爺湖の少年は、瞬きをした次の瞬間、元の場所に戻っていた
眠り、目覚め、まばたき。どれも、ほんの一瞬、目を閉じて開くことだ。
すべての話がそうだとは言わない。けれど、境目がいちばん開きやすいのは、まぶたが閉じているあいだなのだと私は考えている。
そして目を開けた人は、決まって夢を疑う。大学生は不思議な夢を見たと思い、白いフロアの男性も、まず「白昼夢」を疑った。
けれど、夢では片づけられない物が残っていた。大学生の台所には、使い終えた食器。白いフロアの男性の胸ポケットには、エレベーターの中で移した千円札が3枚。
夢だと思いたい人のもとに、夢ではない証拠だけが残される。 私はそこがいちばん怖い。
「NOBODY」は誰の名前だったのか
もう一度、最初の着信画面を思い出そう。
「NOBODY」――誰でもない者。
元おっさんを名乗った人物は、迷い込んだ人間を「異者」と呼んでいた。異世界に紛れ込んだ、そこにいるはずのない者だ。
仕込み中の舞台に突然立っていた学生は、おっさんたちから見れば、まさに正体の分からない存在だった。「お前、何でここにいるんだ」という怒鳴り声は、私たちが幽霊に向けて言いそうな言葉そのものだ。
だとしたら、あの画面の文字は男の名前ではなく、向こう側が学生に付けた名札だったのかもしれないな。
あの世界で怪異だったのは、おっさんではない。突然現れた学生のほうだった。
今夜あなたが眠り、また目を覚ます。その朝がもし妙に静かで、見覚えのない名前から電話が鳴ったら、出る前に一度だけ考えてほしい。
その名前は、向こうから見た、あなたの名前かもしれないのだから。
参考資料

各体験談と2010年の白いフロア
出典:校庭・2006年3月・洞爺湖・公園の記録(まとめWiki「時空のおっさん1」)/2007年12月の700番(まとめWiki「時空のおっさん2」)/白いフロアの449〜450番(エニグマのまとめ「異世界エレベーター」への転載)/白いフロアの539〜541番(5ちゃんねる過去ログ「時空のおっさん4」)。いずれも掲示板投稿の転載・記録です。
正体説・庭師・元おっさん
正体説の参考:まとめWikiの正体考察/2013年の「庭師」投稿(8スレ目497番の転載)/2015年に「元・時空のおっさん」を名乗る人物の投稿(まとめWikiの転載)/2007年2月1日の712番(5ちゃんねる過去ログ)。
初出と名前の広まり・2016年の投稿
出典:2006年2月25日の専用スレッドに残る転載(まとめWiki)/同スレッドの過去ログ(2007年2月1日の714番を含む)/2006年2月12日の洒落コワ掲示板74〜76番と、4月23日の116番への転載/2007年12月の700番「勝手にせい」/2010年8月の539〜541番(5ちゃんねる過去ログ)/ガールズちゃんねる248番・357番・360番・トピック本体。
2012年の風車・ヴォイニッチ手稿
出典:2012年5月の風車と6月の入れ墨の記録・まとめWiki/2012年5月の投稿を収録した原文転載/6月の関連投稿を収録したまとめWiki/6月23日の投稿時刻を含む転載(サンブロ)/イェール大学の公式資料/67枚目表の図解/Wikimedia Commonsの画像履歴。



コメント